「敗因と」 第5章 --- 晩餐 --- P. 153〜

P. 153〜 (文:木崎 伸也)

クロアチア戦を3日後に控えた6月15日の午後7時―――。
中田英寿が呼びかけて実現した決起集会が始まった。
この会の前にあらかじめ日本サッカー協会のスタッフが来店して、どういうふうにテーブルを配置するかを上條と話し合っていた。店内には全部で50席あるが、ばらばらに座ったらこの会の意味がないということで、入り口からまっすぐ進んで突き当たったスペースにテーブルを集めることになった。

「最初は店の全部のスペースを使って、もっとゆったりと座るって話もあったんですが、窮屈でもいいから、一ヶ所に集めてやろうということになったんです」

10畳ほどのスペースに、12人がけのテーブルと、8人がけのテーブルが平行に並べられた。
ちょっと手狭だが、それぞれのテーブルの端、いわゆるお誕生日席に誰かが座れば、ちょうど22にんがこのスペースにぴったり収まることになる。

残念ながら中村はワールドカップ開幕前に風邪をひき、オーストラリア戦後にさらにその風邪をこじらせてしまったので、この食事会には参加できなかった。
ひとりだけ参加しなかったことで、大会後にチームメイトとの「不仲説」が流れたが、中村と親しい遠藤はそれを否定する。

「シュンはドイツに入ってからずっと体調が悪かったんで。僕はそれを知ってました。体調が一番大事だから、無理をしてまで行くこともないだろうということで。もちろんまわりにはうつしちゃいけない、ってシュンは思っていただろうし。ドクターとかと相談して『今日はやめといたほうがいい』って多分言われてたと思う。不仲ということはまったくないです」

3日後のクロアチア戦でも熱が下がっていなかったことを考えると、この日は無理して食事会に出られる体調ではなかったのだろう。

代表のバスが店の裏通りに横付けされ、選手たちが店の中に入ってきた。
中田英寿はのれんをくぐると、すぐに上條のもとにきて挨拶した。
「事務所のスタッフから、話を聞いてますよ。彼女は僕のお姉さんみたいなもので。今日はよろしくおねがいします」

サッカーに興味のない上條とはいえ、サッカーの枠に収まらない中田英寿という存在はよく知っていた。週刊誌や新聞で、ファンが嫌いでサインにも写真にも応じないという記事を読んだこともある。だが、それが偏見に過ぎないことがすぐにわかった。

「代表の中で、一番ちゃんと挨拶をしてくれたのは中田くんなんですよ。マスコミで報道されているのとは全然違った。彼と話をしていると、この青年はサッカーを辞めて一般社会にぱっと入っても、やっていけるという感じがしました。選手によっては、サッカーの世界からは出られないな、っていう人もいたけど」

旧西ドイツ時代、『かみじょう』にはよく政治家が顔を出したし、今でも日本企業のお偉いさんが来ることも多い。人間観察の目が肥えている上條にとっても、中田英寿は特別な存在に映ったのである。

次々に選手が入ってくるが、わからない顔が多い。ただ、髪型に特徴があると、判断はしやすい。店に長髪で色黒の大男が威勢よく入ってきた。
これが中澤か。なかなか元気じゃないか――――。

オーストラリア戦からまだ3日しか経っていないこともあり、なかにはうつむいて入ってくるものもいた。身体が疲れているというより、気持ちが疲れているように見えた。

どこに誰が座るのかなあと眺めていると、予想していたとおり、幹事役の中田英寿が大きい方のテーブルの誕生日席に座った。キャプテンの宮本が、それをサポートするかのように横に座る。
その2人が座った12人がけのテーブルには、川口、中澤、三都主、遠藤、加地亮大黒将志らがついた。8人がけのテーブルのお誕生日席には、年長者の土肥が座った。このテーブルには、小野伸二、高原直康、、稲本潤一中田浩二坪井慶介ら黄金世代や茂庭照幸がいる。

「乾杯!」

一応、日本サッカー協会は生ものやアルコールを禁止していたが、それはあくまで建前で、「選手だけで外に出すのだから、少しくらい選手が飲むことは覚悟している」と協会総務の湯田和之は上條に告げていた。

ビールや焼酎がふるまわれた。下戸の三都主は、前回来たときと同じようにラムネで乾杯した。

(中略)

あの夜のことを、茂庭はこう振り返る。
「食事会はメチャメチャよかったですよ。俺はすげぇ盛り上げて。あとから聞いたら、辛口のコメントとかをみんなにバシバシ言ってたらしいんですよ。冗談でツネさんに『東京にきても試合に出られないよ。俺がいるから』とか。笑いながら、バンバンそういう話をして」

(中略)

会が終わりに近づいたころ、中田英寿が壁にかかっている日の丸を見つけて、ひとつの提案をした。
「みんなでアレにサインをしない?大将、マジックある?」

ここでひとつ、世間で大きく誤解されていることがある―――。後日、この日の丸に6人だけサインをしてないことが週刊誌や新聞で大きく扱われ、あたかも6人が中田英寿の呼びかけを拒否したかのように伝えられた。

これは大きな間違いです、と上條は言う。
「開幕前にドイツ人のお客さんが、日本国旗をプレゼントしてくれたんです。結構、大きかったので奥の壁に貼ってあった。その壁の前に中田くんたちがいる方のテーブルがあって、もうひとつのテーブルの選手はみんなをどかさないと、そこまでいけない状況だったんですよ。とにかく狭いスペースに(テーブルが)2つ並んでいたから。それに中田くんが大きな声を出して呼びかけたわけではないので、気がつかない人もいたと思う。特にもうひとつのテーブルの奥に座っていた高原くんや稲本くんは聞こえなかったんじゃないかな。ある週刊誌には小野くんのサインはないって書いてありましたけど、あれも間違い。彼のサインはありますよ」

サインをしなかった一人である茂庭も、この報道には納得がいかなかった。
「じゃあ帰ろうかというときに、サインがどうとかは聞こえたんですけど、みんな結構、酔っ払ってて。『茂庭、おまえサインしろ』みたいなことを言われたのは覚えているんですが、ノリで『じゃあ、自分頬にサインします!』とやって。そのまま帰ったんです。自分はどちらかというと、そういうのを率先してやるタイプ。知っていたらサインしたかったですよ」

(中略)

この食事会で選手がアルコールを口にしたことに関しては、一部の専門家から批判が出ているのは確かだ。元京都のフィジカルコーチで、松井大輔朴智星のコンディションを管理した経験を持つミハエル・ヴァイスは、この報道を聞いたとき耳を疑った。

「試合の3日前に、たくさんアルコールを飲んだら、試合に影響が出るのは当たり前。アルコールは体内から水分を奪い、体から老廃物がなくなるのを妨げ、疲労回復を遅らせるんです。ましてワールドカップで過密日程だというのに・・・・・・」

しかしながら、コンディション面を犠牲にしたとしても、オーストラリア戦で打ちのめされた選手たちが、、気持ちをひとつにできるということを再確認できたことは大きい。この夜の一体感さえ忘れなければ、ピッチ内でも気持ちをひとつにできる―――はずだった。