「敗因と」 第3章 --- 確執 --- P.101 〜

P.101 〜 (文:木崎 伸也)

人間というのは不思議なもので、いったんジーコの手腕についてダメだと思うようになると、レギュラーが保証されている選手までをも否定的な目で見るようになってしまう。ジーコでなければ、この選手は先発してないだろう、というような思考回路で。
実際には、出場するからには何かしらの長所があるに決まっているのだが、嫉妬心もあいまって、チームメイトの不満の標的ができあがっていた。
ジーコのチームにも、そういう選手は3人いた。

中田英寿宮本恒靖三都主アレサンドロ

三都主は、言うまでもなく、ジーコと同じブラジル人である。
ある選手は言う。
「アレックスはパスのタイミングが違うってみんな言ってる。もちろん彼のドリブルは攻撃のアクセントになるけれど、89分間ダメで1分だけいいというタイプの選手がDFラインにいたら、そりゃあたまらないでしょ。FWならいいんだけど」

(中略)

宮本への批判はもっと痛烈だった。ほぼ全員がJリーグで宮本と対戦して、フィジカルの弱さを痛感しているだけに、いくらリーダーシップがあるだとか、カバーリングがうまいだとか言われても、皮膚感覚の奥底に残っている記憶がこの実直なキャプテンを否定してしまうのである。一対一のディフェンスという意味に限れば、日本人から見ても宮本は対戦するのが恐くないDFだった。「片手だけで抑えられる」ともらす選手がいるくらいに。

(中略)

宮本の大きな武器は、計算されたラインコントロールであったり、細かなポジショニングの修正であったり、一瞬の読みによるパスカットにあるが、それは前線からのパスコースをきちんと限定して初めて発揮される長所でもある。残念ながらジーコは、そういう緻密な戦術にはこだわりを持っていなかった。サイドも中盤も隙が多く、論理的なディフェンスは組み立てにくい。ジーコのような大雑把なサッカーでは、リーチが長かったり、スピードでシステムの粗さを補うことができるフィジカル系のセンターバックのほうが、より求められる。

いつしかこんな言葉ができた。
日本代表の七不思議。
代表にツネがいること。

努力しても克服できないフィジカルの短所は、個人としての嫉妬とチームとしての危機感がごちゃまぜになって、常に陰口の火種になった。

本大会が始まると、このリストには中村も加えられた。彼のテクニックと正確なフリーキックは誰もが認めるところだが、体調が悪いにもかかわらず、ジーコが起用し続けたことでチーム内での立場は最悪になった。熱でほとんど動けない選手が先発するのだから、控えの選手からしたら文句の一つも言いたくなる。

「そりゃあ聞かれれば、俊輔も『やれる』と答えるでしょう。誰だってワールドカップに出たいですから。でも、どんな体調だろうが、先発するっておかしくないですか?」

(中略)

基本的には中田英寿も、3人と同じような事情でチームメイトから妬まれていた。
ただ、チームメイトは三都主、宮本、中村のプレーについてどんなに文句を言おうと、プライベートになれば普通に接した。

しかし、中田英寿の場合は違った。ひとりだけマスコミを無視し、他の選手と打ち解けようとせず、一方的な物言いをする。そういう傲慢とも受け取れる振る舞いを目の当たりにすると、本来であればピッチ内だけで収めるべき感情が、プライベートでも滲み出てしまう。

中田英寿代理人を8年間務めたジョバンニ・ブランキーニも「彼を日本の総理大臣にするべき」と評価する一方で、孤立しがちな性格だけは短所だと思っていた。

「ヒデはどこのチームでもつねに関係者やファンに愛されていました。なぜなら、ワガママを言うことはないし、ルールはきちっと守るし、練習には一番に姿を見せる。そういった姿が、周囲から高い評価を受けていました。ただ、そういう仕事の世界では素晴らしいのですが、そこから離れるとどうしても彼は閉鎖的になってしまう。ヒデはセリエA時代にチーム内では同僚といい関係を保っていたのですが、仕事から離れると自分の殻にこもってしまっていた。みんなと一緒にいるのを好まない性格でした。練習でも、移動でも、合宿でも、みんなとうまく付き合うのですが、グラウンドを離れると彼には自分の人生があって、その人生と現場をあまりミックスさせないところがありました。この考え方は、ヨーロッパではちょっと理解し難いところがあります。ヨーロッパではすべてをひっくるめて、友だち付き合いをする。イタリアでは、そのことが悪く報道されてしまうこともありました。仕事とプライベートを完全に分けていたことを、良く思っていない人もいたんです」

ブランキーニが言うことは、日本に置き換えてもそのまま当てはまるだろう。ピッチから離れた途端に冷たくなったら、誰だって違和感を憶える。