「敗因と」 第6章 --- 齟齬 --- P. 179〜

P. 179〜 (文:木崎 伸也)

前と後ろの意見が噛み合うことのないまま、6月12日、オーストラリア戦のホイッスルが鳴った。
日本のDFラインは、比較的、高い。前線からのプレッシャーがかかり、チームとしてまずまずの組織を保っていた。日本の先制点が幸運だったとはいえ、中村が深い位置からフリーでクロスを上げられたのも、それだけ相手を押し込んでいたからだった。
しかし、後半になると相手がひたすらロングボールを蹴る作戦に出たことで、日本の選手は消耗し始めた。
瓦解へのカウントダウンが始まった。

高原と柳沢が相手DFをチェックに行っても、中盤からの押し上げがないため、相手は簡単にサイドチェンジをしてしまう。それを追わなければならない高原と柳沢は、不必要な疲労を蓄積させていった。
一方、身長188センチのマーク・ビドゥカに加え、I94センチのジョシュア・ケネディが投入されたことで、DFラインはずるずると下がった。こぼれ球を拾うために、ボランチも引っ張られた。
前線から最終ラインまでは大きく間延びして、真ん中に大きなスペースができた。
地元の人は、カイザースラウテルンのスタジアムのことを「地獄釜(ヘクセンケッセル)」と呼んでいる。日本にとっては、中盤に開いたその穴こそが地獄になった。 投入された小野も、そのスペースに飲み込まれた。

たった8分間で3矢点。

今まで抱いてきたワールドカップへの期待、やってやろうという戦う気持ちがすべて粉々になり、気がついたときに残っていたものは、チームの内側に向けた負のエネルギーだった。
打ちのめされた弱い心は、戦犯探しに走った。
キヤプテンの宮本は、いたずらにボールを失った攻撃陣に納得がいかなかった。なんで時間を稼いでくれなかったんだ、と。

ベンチから惨劇を目撃した中田浩二は、試合後、宮本と敗因について話しこんだという。
「俺が思うに、オーストラリア戦の敗因は、ボールをキープすればよかったところでキープできなかったこと。オーストラリアが前に来てスペースがあるから、簡単にボールをつなげばいいところで、勝負にいって、結局取られてしまった。オーストラリアの攻撃って、ただ蹴って、デカいのに合わせてセカンドボールを拾うという仕掛けじゃないですか? オーストラリアの方がキープしてる時間が長いんですよね。日本はずっと動かされて、消耗していました。ボールをせっかく取って一息ついたときも、前が攻めに行ってしまっていた。暑さもあって、イージーミスを繰り返してしまった。ゴールキーパーにそのまま行っちゃったり、センタリングをミスしたり……。それがまたオーストラリアのボールになる。ロングボールを何本も何本も蹴られて、DFは精神的にきつかったと思う。ツネさんもそう言ってたから」

後半、オーストラリアのDFラインの裏には大きなスペースがあった。攻撃陣はその誘惑にかられて、もう1点を取りにいった。だがロングボールで窒息寸前だったDF陣からすると、少しでも一息つく時間を稼いで欲しかったのだ。
逆に攻撃陣は、ずるずると下がったDF陣に不満をもった。
中田英寿テレビ朝日で放送された引退特番でこう振り返っている。
「前半にしてもラインが低くて、後半もずっとぺナルティエリアの前。あれをやっていたら、FWと中盤は大きなスペースを走らなきゃいけない。それが一番のミスだったんじゃないか。ラインを高く保つのは、攻撃するためにじゃなくて、自分たちができる限り矢点を抑えるため。低くするほど、誰がどう考えても点はとられやすくなる。それはもう、どんな理屈があろうとも明白。高さが恐ければ、ラインをあげればいい。いくらへディングで負けようが、そのままゴールに結びつくことはない。低ければ、リスクは高くなる」

前へ行きすぎる攻撃陣。
後ろに引きすぎる守備陣。
初戦に負けて追いつめられたことで、人の意見を尊重するという余裕が次第になくなっていき、最終ラインにまつわる論争は泥沼にはまっていった。
あまりにラインに執着する先発組に、温度差を感じる選手もいた。

「ラインの話を練習のつどするようになった。早く言えば、ツネさんとヒデさんのトップ会談ですよ。僕らサブ組は、その話し合いには参加していません」

そんななかで、キャプテンの宮本は論争の当事者ながらも、事態を収めようと中田英寿や高原とのコミュニケーションを続けようとした。
だが、答のない問いに、言葉を注ぎ込もうとすればするほど、こぼれ出てくるのは齟齬や誤解という副作用ばかりだった。

責任感の強いキャプテンを見ていて、土肥はいたたまれなくなったという。
「辛そうでしたね……。そんなに背負わなくてもいいのに、と思って。監督と選手の板ばさみになって、すべてを背負っていたというか」

2002年ワールドカップではともにフラット3を組んだ中田浩二も、宮本を心配していた。
「あのときラインに対して一番敏感になっていたのはツネさんなんですよ。あの人は頭がいいし、キャプテンだし、抱えるところがあったんじゃないかな。だから、僕はヒデさんよりも、ツネさんのケアをしてあげればよかった、って今になって思うんです。ヒデさんは言いたいことを言うけど、ツネさんは立場的にもそれを受けなきゃいけなかった。性格的にもそうだし。あのひとが一番ラインのことでナーバスになって……。それまでは自信を持ってやっていたと思うんだけど、あまりにそのことを言われて、考え過ぎてしまったところもあったのかもしれません」

遠い日本では、三浦淳宏がともに最終予選を戦ったひとりとして、宮本が背負っているものの重さを感じ取っていた。三浦はあるムードメーカーの不在を惜しんだ。
「マコ(田中誠)は、ちょっと面白い存在だった。俺なんかもからかって、バスの中なんかでもすごい盛り上がってたしね。マコがいなくなったってのは、やっぱり大きいかなぁ。年齢的にはオレの下にマコがいて、その下にツネとか福西がいる。マコがいたら、ちょっと変わったかもしれない」

オーストラリア戦の3日後、中田英寿が提案して、日本食レストランで決起集会を開くことになり、食事会は大いに盛り上がった。しかし、一度の食事会で完治するほど、チーム内のしこりはやわではなかった。