「敗因と」 第6章 --- 齟齬 --- P. 168〜

P. 168〜 (文:木崎 伸也)

ボン合宿が始まった3日目、宮本恒靖中村俊輔高原直泰の3人がピッチにあぐらをかいて座っていた。
ペットボトルが5本、芝の上に立てられている。高原がひとつを手に取って位置を変えると、それに対して中村が「もっとこうしたほうがいいでしょ」とばかりにペットボトルをずらす。ペットボトルを選手に見立てて、チームとしての動き方の相談をしているのだ。

3人は楽しそうだった。やっとこういう話し合いができる、この問題さえ解決しておけばワールドカップで日本は勝てる、という確信が身体から湧き出してくるように。

のちにこの問題が、チームを分裂させるきっかけになるとは、3人とも考えもしなかっただろうが・・・・・・。

2002年のワールドカップを肺血栓塞栓症で逃した高原にとって、今大会にかける思いは誰よりも強いものがあった。ついに健康な身体で開幕を迎えられるという充実感は、本人にしかわからないものがある。
2004年のアテネ五輪オーバーエイジ枠で召集されるはずだったが、5月のA代表のマンチェスター遠征で病気を再発させ、五輪出場を逃した。この再発以来、高原は飛行機に乗る前に必ずトイレに行き、血が固まりにくくなる薬をお腹に注射するようになった。もう再発は許されない。もし再発すれば、引退どころか、命を失う危険すらある。

血栓が肺にできると、息をするたびに内側からナイフで刺されたような痛みが走る。もし血栓が脳に行けば、脳溢血で死ぬかもしれない。治療中はシュウ酸の入っているキャベツは食べられない。血栓を溶かす薬を飲むので、人と接触するスポーツはできない。もちろんサッカーも禁止される。待っているのほ、走るだけの単調なトレーニングである。

そういうことを乗り越えて、やっとワールドカップに出場できるのだ。今大会は自分が普段プレーしているドイツで開催されるのも大きい。もし日本がグループリーグを突破できれば、いままで自分のことを批判してきたドイツ人を見返すことができる。
そのためにも高原は代表の合宿が始まったら、あることをやろうと決意していた。ワールドカップ直前の「ナンバー」誌のインタビューで、彼はこう語った。

「強い相手に対して、自分たちがどういうふうに守って、どういう意図でボールを奪いにいくのか、もっと明確にしないと。今の中途半端なままでは、簡単にやられてしまうだけだと思う。今はなんとなくボールを追い込んではいるんだけど、そのへんはもつと明確にしてやらないと、上のレベルでは闘えない。それをちゃんとみんなで、話し合ったり、もっとこうするべきだというのをやらなければいけない。やらなければ大変なことになる」
日本代表にチームとしての守備のやり方がないことに、危機感を持っていたのである。

2006年2月、日本代表はドルトムントで、ボスニア・ヘルツェゴビナと親善試合をした。前半終了間際に中村のコーナーキックを高原が頭で押し込んで、先制することに成功する。だが、後半になるとサイドを崩され、57分、67分に立て続けに矢点してしまった。後半のロスタイムに中田英寿が同点ゴールを決めたものの、あきらかに日本の守備は組織だっていなかった。なんとなくブレスをかけるタイミングや位置は決まっているのだが、「なんとなく」のままでは本大会で勝てるわけがない。
開幕がいくら近づいても、いままでと同じようにジーコは守備の約束事を作ろうとしない。ならば選手たちでやるしかないじゃないか、と高原は思ったのだ。

不安は現実のものとなる。
5月28日、ボン合宿の3日目、ワールドカップの登録メンバーが集まって初めての紅白戦が行われたのだが、レギュラー組は1−0で勝ったものの、内容ではサブ組に圧倒されてしまったのである。
レギュラー組は3−5−2。GKは川口能活、3バックは坪井慶介、宮本、中澤佑二、両ウイングバック加地亮三都主アレサンドロ、守備的MFは中田英寿福西崇史、トップ下に中村、そして2トッブは高原と柳沢敦が人る。
サブ組は4−4−2。GKは楢崎正剛、4バック右から駒野友一遠藤保仁田中誠中田浩二ボランチ小野伸二稲本潤一、攻撃的MFは右から玉田圭司小笠原満男、そして2トップは巻誠一郎大黒将志がコンビを組む。
中盤を支配したのはサブ組だった。チェコ遠征とマンチェスター遠征ではレギュラーだった小野と稲本を申心に右に左に小気味良くボールをまわし、レギュラー組の中盤はなかなかボールに触ることができない。9分に小笠原が、12分には小野が、34分には右サイドバックの駒野までもがシュートを放った。

サブ組のひとりは、こう振り返る。
「あのときは僕たちが手を抜くことはチームにとってよくないと感じていたし、それでスタメシ組が気がついてくれればいいと思ってやっていた。だから一生懸命やりましたし、ディフェンスに関しては激しくいったところもありました」

この3日後、ジーコは田中のケガが完全に治ってないと判断して、日本に帰国させている。代わりにハワイヘバカンスに行っていた茂庭照幸が急遼招集された。それほど田中の状態は良くなかったということだ。それにもうひとりのセンターバックは、MFが本職の遠藤。ケガ人と急造DFを相手に1点しか取れないのだから、事態は思った以上に深刻だった。

紅白戦の後、ピッチで宮本、申村、高原が緊急ミーティングを開いたことは冒頭に書いた。3人だけでなく、全員で話せばよりチームとしてまとまるはずだ。 その練習後、選手全員でミーティングを開くことになった。
ミーティングの一番のテーマは、
「DFラインの高さ」
をどうするかということだった,
中田英寿や高原ら攻撃陣は、「高くするべきだ」と主張した。

高原はミーティングで言った。
「とにかく最終ラインをなるべく高く保ってほしい,そうしたら前線でブレスをかけられるし、プレスがかかれば相手はロングボールしかなくなると思う。あとはロングボールを競ったあとにセカンドボールを落ち着いてさばけば、全然恐くないはずだ」

ラインを高くすれば、全体がコンバクトになるので、ボールを奪うチャンスも増えるし、より高い位置でボールを奪える。2006年5月にチャンビオンズリーグ決勝を戦ったバルセロナアーセナルもDFラインは高い。ラインを高くするということは、ヨーロッバの強豪クラブではもはや常識だった。他のことでは高原と意見が合わなかった中田英寿も、ラインのことについては同意見だった。

これに対して、キャプテンの宮本が自分の意見を述べた。
「前からプレスに行ってもらわないと、押し上げられない。もちろん、上げられるときは上げるけど、無理なときだってある。そのときは前も下がってほしい」

ワールドカップで矢点することのリスクを考えると、むやみにラインを上げたくない、というのはDFとしての当然の防衛本能だろう。
この日、結論が出ることほなかった。とはいえミーティングを続けていけばきっとチームとしてのやり方を決められるはずだ。「チームとしてはそんなに悪くないし、今後も継続的に話し合っていこう」。そんな雰囲気で初回は手打ちになった。

しかし――――――。
その2日後、日本がドイツ相手に2点を先制し、結果的に善戦したことで、攻撃陣と守備陣の発言権のパワーバランスが崩れることになる。
5月30日、レバークーゼンで行われたドイツ戦は、日本にとって強豪に胸を借りる意味合いの強い親善試合だった。矢うものは何もない。FWは前からがんがん激しいブレスをしかけ、DFライシも高く保った。日本は中盤でボールを奪うと素早くパスをつなぎ、カウンターから高原の2ゴールが生まれた。
その後2点を返されて、同点に追いつかれたのは残念だったが、日本の攻撃陣は自分たちの主張は間違ってないと自信を深めた。

2得点をあげた高原は、試合後に言った。
「全体をすごくコンパクトにできた。いいプレッシャーがかかっていたし、その中で個人の技術を生かしたり、ボールを走らぜたり。いいサッカーをできたと思います」
当然のことながら、結果を出した者の発言は、チーム内で重きを置かれるようになる。ラインを上げることを主張するグループが、やや優勢になった。

GKの土肥洋一は、チーム内の微妙な空気の変化に気がついた。
「紅白戦をやるとサブ組のほうがいいサッカーをするから、レギュラー組のFWの選手は「ディフェンス低いよ」って言ってしまう。それに対して『行くときは行くから、ちょっと待ってくれよ』と守備陣は返すわけです。何がしたいんだろう、と思いながら見ていた。でも、僕はキーパーだから、ディフェンスの立場もわかるだから、ツネに『もっと主導権をもってやったほうがいいよ』と言ったんですけど、彼は『そやなあ......』と言って考え込んでましたね」

ドイツ戦のあとに合流した茂庭も、チーム内に意見のすれ違いがあるのかもしれないと感じた一人だ。
「僕が来る前にそういう議論があったようで、合流したときにはもう『どうするんだよ!』というような雰囲気がちょっとあった。何が起こってるの? って思いましたね」

練習に参加してみると、茂庭はだんだん両者の言い分がわかるようになってきた。自分自身はDFだけに守備陣の気持ちもわかる反面、攻撃陣が言っていることも間違いではないと思うようになった。
「ツネさんは、ボールを取られたら引く。逆にFWは追いにいく。だから、ぽっかり申盤が空いてるから、そこでワンツーをされたりすると簡単にやられてしまうことがあるんです」

誰もが一生懸命にプレーしているし、勝つために考えをめぐらせているのだが、選手たちが想像していたほどに、ラインについて意見をひとつにするのは簡単ではなかった。
今さらそういう細かな議論をすることに、積極的ではない選手もいた。
川口能活は、みんなの前で言った。
「オレは本能でやってるから。そういう話は、あんまり」
川口からしてみれば、そんな細かい話をするのはやめようよと、伝えたかったのかもしれない。試合が始まったら、やるしかないじゃないか、と。
ただ、基本的にはぺナルティエリア内にポジションが限定されているGKとは違って、フィールドプレーヤーたちは、そんなにどっしりと構えていられるはずもなかった。今までの今フェデレーションズカップや親善試合では、あいまいな部分にも目をつぶることが許されたが、4年に一度のワールドカップという大舞台では、対戦相手の意気込みもまるで違ったものになってくる。
いまさら個人技術を上げることはできないが、チームとしての完成度をあけることならできる。
DFラインについて議論することは、チームのためにプラスになってくれるはずだった。

ここでひとつ忘れてはいけないことがある。
基本的には、攻撃陣と守備陣のどちらの主張も正しいということだ
リスクを負って、勝負するか。
リスクを避けて、勝負するか。
そこにあるのは、戦術への嗜好の違いである。
ヨーロッパでも、ラインが高いチームもあれば、低いチームもある。05-O6シーズンのチャンピオンズリーグ王者のバルセロナのラインは高いが、イングランド王者のチェルシーは比較的ラインが低い。

たとえば05-O6シーズンのUEFAカップで優勝して注目を集めたセビージャのファンデ・ラモス監督は、監督という職業についてこう語っている。
「どこからプレスをかけるか。ラインの高さをどこに設定するか。そういうチームの勝敗を左右するディティールを決断するのが、監督の仕事だと思っている」

しかし、ジーコは就任して4年が経とうというのに、それをやろうとしない。狙いがあるのか、ただ無策なのか。
日本代表が20O4年にマンチェスター遠征に行ったときのことである。スタンドにいた解説者の風間八宏氏が疑問を投げかけたことがあった。
「監督には、やるべき仕事が2つある。まずひとつ目は、どの位置からプレスをかけるかということ。ハーフラインのちょっと前でも、相手のDFラインのところでもいい。プレスをかける位置が決まれば、自動的に自分たちのラインの高さも決まる。ふたつ目は、リスタートのとき選手がどこに戻るかという基本ポジション。ピッチの上にバランスよく選手が散らばっていれば、そう簡単に崩されることはない。混乱しても、まずは決められた基本ポジションに戻ればいい。マンチェスターで行われたアイスランド戦とイングランド戦を見る限り、日本にはそのふたつがない。少し監督が指示してあげるだけで、随分良くなると思うのだが」

こういう約束事を選手が自分たちで決めるなどということは、ヨーロッパ中を見渡しても異例のことだ。1974年のワールドカップで、西ドイツのキャプテンだったフランツ・ベッケンバウアーが、大会期間中にシェーン監督から全権を奪い、自分の好きな選手と戦術で優勝まで上りつめたことがあった。だが、それはヨーロッパ最優秀選手に2度輝いたベッケンバウアーという才能があったからこそ。設計図もなしに基礎工事を丸投げすれば、選手が頭を抱えるのは当然のことだった。

ワールドカップ後、多くの選手がこう口にした。
「監督がどういうふうにサッカーをしたらいいかっていう道標を示してくれれば、あとは選手たちがやるけれど、道標も何もないのに選手たちだけでやれと言われても、そんなのまとまるわけがない」
「ヒヂさんとツネさんの意見が分かれても、決めるのは僕たちじゃない。そこでどうするかっていうのは、監督ですよね。選手同士でミーティングすることもありましたけど、それは揉めますよ。言い合いになったとしても、どっちも正論なんだから」

なかには、
ジーコじゃなければ、グループリーグを突破できた」
と唇を噛んだ選手もいる。
これだけの混乱を招いてしまったのだから、ジーコは日本という国を率いて監督をやるうえで、何かが欠けていたことは間違いないだろう。
だが、あえてジーコの立場になって考えると、根幹にあるサッカーの概念が、日本の選手とは全く違ったのかもしれない。
ワールドカップ後、ブラジル代表の左サイドバックジウベルトは、こんなことを言っていた,日本戦でジュニーニョ・ペルナンブカーノの"揺れるシュート"を、彼がアシストしたときのことだ。

「あの場面では、まず右サイドのシシーニョがクロスをあげて、それが流れて左にいたロビーニョが拾ったんだよね。僕はオーバーラップして、ロビーニョからパスを受けた。日本の選手はそれに反応して、僕は素早く囲まれてしまった。でもね、ブラジルにはこんな教えがある。『まわりを囲まれたら、必ず遠くにいる人はフリーになっている』とね。予供の頃からミ二サッカーをやっているから、こういうのは身体にしみついているんだ。右を見ると、中央のジュニーニョがフリーになっていた。迷わずパスしたよ。まあ、ゴールが決まったのは、彼のシュートが素晴らしかったからなんだけど」

まわりに「いる」か、「いない」か。ただそれだけ。
ヨーロッパの戦術が「ライン」という線で見ようとしているのに対して、ブラジルはピッチを面として感じている。
ジーコにとってみれば、日本の選手たちがなぜDFラインにこだわるのか、その理由さえも分からなかったのかもしれない。
三浦知良はワールドカップ直前に「ナンバー」誌に掲載された中田英寿との対談で、以下のように語っている。
「サッカーというのはこういうもんだっていうのがブラジル人のなかにはあるんですよね。なんていうか…・・・口葉で説明できないんだけど、僕もブラジルにいたから、ジーコのコメントを聞いてて気持ちがわかるんですよね」

たとえば、ジーコはこう語っていた。
「戦術はあるけれど、ひとつの形にハマッたものではないんだ。咄瑳の判断でそこを変えなきゃいけない部分はあるし、必ず相手あってのことだから、マニュアル化されるものでもないんだよ。右から攻めろと言っても右に敵がいれば、左から攻めなければいけない。でも、左から行くんだと戦術が教えてくれるかというと、それは違う。そこは選手の判断によるものだからね」
サッカーは数学のように初めから答が決まっているのではなく、その場のひらめきでやるものなんだ。ジーコはそう伝えたかったのかもしれない。