2008-01-01から1年間の記事一覧

「敗因と」 第7章 --- 消極 --- P. 194〜

P. 194〜 (文:戸塚 啓) フランク・デ・ブリークケレという人物をご存じだろうか。 オランダ語、フランス語、英語、ドイツ語を操るこのべルギー人は、首都ブリュッセルから南西へ1時間ほど行ったところにあるアウデナールデという小さな街に住んでいる。テ…

「敗因と」 第6章 --- 齟齬 --- P. 183〜

P. 183〜 (文:木崎 伸也)それにしてもどうして、日本の選手たちほこれほどまでに意見がぶつかり合ったのだろうか。2002年のワールドカップでは、当時監督だったフィリップ・トルシエが「ラインを上げろ」と指示していたにもかかわらず、初戦のべルギ…

「敗因と」 第6章 --- 齟齬 --- P. 179〜

P. 179〜 (文:木崎 伸也) 前と後ろの意見が噛み合うことのないまま、6月12日、オーストラリア戦のホイッスルが鳴った。 日本のDFラインは、比較的、高い。前線からのプレッシャーがかかり、チームとしてまずまずの組織を保っていた。日本の先制点が幸運だ…

「敗因と」 第6章 --- 齟齬 --- P. 168〜

P. 168〜 (文:木崎 伸也)ボン合宿が始まった3日目、宮本恒靖、中村俊輔、高原直泰の3人がピッチにあぐらをかいて座っていた。 ペットボトルが5本、芝の上に立てられている。高原がひとつを手に取って位置を変えると、それに対して中村が「もっとこうした…

「敗因と」 第5章 --- 晩餐 --- P. 160〜

P. 160〜 (文:木崎 伸也)6月22日のブラジル戦に負けた翌日、小野伸二と中田英寿のふたりが『かみじょう』にやってきた。ブラジル戦の翌日に日本代表は解散になり、ほとんどの選手がその日のうちに帰国の途についたが、小野と中田の2人だけはボンに残…

「敗因と」 第5章 --- 晩餐 --- P. 153〜

P. 153〜 (文:木崎 伸也)クロアチア戦を3日後に控えた6月15日の午後7時―――。 中田英寿が呼びかけて実現した決起集会が始まった。 この会の前にあらかじめ日本サッカー協会のスタッフが来店して、どういうふうにテーブルを配置するかを上條と話し合っ…