「敗因と」 第1章 --- 愛憎 --- P.53 〜 P.57

P.53 〜 P.57 (文:戸塚 啓)

システムを併用したのは、選手の柔軟性を評価していたからだった。2つのシステムに対応できると判断したからだった。

ジーコ
「サッカーはマニュアル化できない。ケーキのレシピみたいなものはないんだ。戦術や約束事はもちろんあるけれど、対戦相手もいるわけだし、試合中のとっさの判断で変えていかなければいけない部分がある。状況判断は選手自身がするもので、そうじゃなければプレーする意味がない。2つのシステムを併用してきたことで、どちらでも迷わずに自信を持ってプレーできるチームになっていた」

監督に就任する前から、日本人の潜在能力を高く評価していた。だから、自由を与えた。
「いまの世代は大きなクオリティがある。2002年はメンタルの領域であと少し足りなかった。もしメンタルが強ければ、ベスト16で負けなかったはずだ。日本はテクニックと戦術の面で劣っているのではなく、自信と勝利への欲求が足りない。私の仕事は成功を欲する気持ちをかきたてることだった。そのためにピッチ上で確実性、責任、自由を与えた。積極性も要求した。以前の日本人は命令を聞くだけだったが、状況によっては決められたものから外れることも要求した。日本は技術を持ってるんだから、それを生かすためにも精神的な強さを備えなければいけなかったんだ。4年もかかったけれど、それは、植え付けることができたと思っている」

それによって、チームは勝者のメンタリティを獲得した。選手は自分を信じることができるようになった、、という手応えをつかんだ。

「この4年間の強化のなかで、絶対に試合を諦めない精神的な強さが身についたと思う。最後まで試合を捨てなければ何かが起こる。それを信じてた戦えということを繰り返し言ってきた。エネルギーが何かの物質であるとしたら、その最後の一滴がなくなるまで戦えと。埼玉スタジアムでの最終予選のバーレーン戦は、決勝点がオウンゴールだから『幸運だった』とマスコミの人たちに言われた。ジーコはツキがある、と。本当にそうだろうか。どんな状況でも自分たちのサッカーができる冷静さや精神的な安定がなければ、ああいう得点は生まれない。私は言い続けてきた。とにかく自分を信じろ。俺は君たちを信じているんだから、君たちは自分の力を信じろと。それが実行されてきたから、チェコに勝ち、イングランドと引き分けた。コンフェデではヨーロッパ王者のギリシャに勝ったんだ」

そして、何よりも彼が頼もしく感じていたのが、チームの一体感だった。それこそは、ワールドカップへ乗り込むジーコの支えだったと言っていい。準決勝進出を目標に設定した根拠だった。大会前にこう語っている。

「現代サッカーでは、スタメンの11人だけで90分間を戦うことはできない。スタメンとベンチを合わせたひとつのチームが強くないと勝てないんだ。我々のチームは、10分でも20分でも全力で戦える選手の集まりなんだよ。ひとつの象徴的な例が中田浩二だ。彼は前回のワールドカップでは全試合に出場したが、今回はベンチスタートになった。それでも、ひとつのグループの一員として自分はいるんだということで、与えられた役割ですべてを出し切ってくれる。スタメンの選手もベンチの選手の勢いを感じることで、さらにチームに勢いがついていくからね。我々はクリスマス・イブの七面鳥にはならない。本番前に殺されるチームではないんだ」

ジーコは選手を信頼した。信じていた。
戦術的なアドバイスを最小限に止めたのも、チーム内の人間関係に深く入り込んでいかなかったのも、選手たちを信頼していたからだった。ドイツへ連れていった23人の選手たちは、代表のユニホームを着るにふさわしい誇りと責任と自覚を持っている。そう思えるだけの戦績を、4年間のなかで作り上げてきた。信頼が揺るぎそうな場面に直面しても、負の感情を払拭できる勝利の記憶があった。

いまでも彼は、選手はすべてを出し切ってくれたと信じている。思うような結果を収めることはできなかったが、出し惜しみをしたとは思っていない。自分が信じた選手を責めるような気持ちは一滴たりともない。
だから、グループリーグ敗退という結末を迎えても、「ありがとう」と言うことができた。
それを罪と言うことができるだろうか。
過ちと言うことができるだろうか。
敗因をジーコひとりに押しつけられるだろうか。
鈴木(通訳) にはできない。たった一度でもジーコに共感できなかった自分を悔やむ。そして、思う。
ジーコは少しだけ、優し過ぎたのかもしれないと。