「敗因と」 第1章 --- 愛憎 --- P.50 〜

P.50 〜 (文:戸塚 啓)

ジーコが嘆いたメンタリティの低下は、他ならぬジーコの責任だとする論調がある。
ドイツの大衆紙『ビルト』のフィリップ・アレンス記者は、ジーコ中田英寿の距離感に疑問を抱いていたひとりである。『ビルト』の日本代表担当だった彼は、ボンの練習場に通うことを大会中の日課にしていた。
「練習中のジーコは、イタリア語を話せる中田英寿としか話していなかった。彼は日本のビッグスターだ。監督がビッグスターとだけ話しているのを、他の選手が見たらどう思うか?これは危険なことだよ」

ジーコは即座に否定した。
「なぜ?自分は本当にオープンだったし、こっちにきてくれれば誰とでも話をした。ヒデを特別扱いしたならしかたないけど、そんなことがあり得るかい?みんな同じだよ。だいたい彼と話していることなんて、本当に普通の内容なんだ。『家族は元気?』とかその程度のことなんだ。サッカーのことなんてほとんど話していない」

「誰と誰の仲が悪いとかいう話は、ブラジルにだってあることだ。でも、自分とヒデについてそういうことを言われているのは知らなかった。もし本当にそう考えている選手がいるとしたら、とても残念なことだ」

中田英寿との関係だけではない。日本代表を率いたジーコの4年間は、監督としての資質を問われた日々だった。
選手の選考に一貫性がない。Jリーグで結果を出しても、なかなか招集されない選手がいた。海外へ移籍したら、いきなり代表に呼ばれた選手がいた。
システムを固定しない。3バックと4バックの併用は、選手たちを混乱させた。
控え選手のモチベーションを考えなかった。紅白戦ではAチームとBチームをはっきりと分けてしまい、交代で使いそうな選手もAチームに混ぜなかった。
戦術がない。選手任せだった。
大会や試合が終わるとすぐに、ブラジルへ帰ってしまう。リーグ戦があるのに日本にいない。特定のスタジアムでしかJリーグのゲームを視察しない。
大会前から噴出していた様々な批判は3つの試合の結果に確かな影響を持っていた。直接的な敗因ではなくても、試合を構成する要素のひとつとなっていた。