「敗因と」 第1章 --- 愛憎 --- P.30 〜 P.33

P.30 〜 P.33 (文:戸塚 啓)

1997年から国見高校を2年間指導し、2001年から京都サンガで3年間コーチを務めたドイツ人のミハエル・ヴァイスも、1−0とリードしたあとの試合運びに疑問を投げかける。国見では大久保嘉人、、京都では松井大輔パクチソンらの成長を促したヴァイスは、日本の全試合をスタジアムで観戦した。
「オーストラリアがどんどん攻撃にきたのに、なぜもっと自陣に引いて守備を固めなかったのか。それでカウンターを狙えばいいじゃないか。後ろは下がっているのに前が上がっているからコンパクトさがまったくなかった。中盤にたくさんのスペースがあった。相手にとっては簡単だよ。ちょっと経験があるチームだったら、全員でラインを深くしてスペースを狭くして、ちょっとプレスをかける。あとは立っているだけで十分だ。それでもう、相手は何もできない。サッカーの常識だよ」

ジーコの用意した対応策は、小野伸二の投入だった。オーストラリアに同点とされる5分前のことである。
「あの時間帯は、とにかくボールポゼッションを上げたかったんだ。少なくともセカンドボールを支配して、ヒデと伸二と福西と俊輔でボールが回れば、と。伸二が入ったあとも、何回もチャンスはあったわけだし。結局は福西と伸二を同じラインにして、ヒデを前に持っていったんだけど、とにかくセカンドボールをキープして、駒野かアレックスを前のスペースへ出したかったんだ」

小野を呼び寄せたジーコは、鈴木に短い言葉を託している。「お前が持っている力をすべて出し切って、中盤を支配してくれ」という指示を伝えた、と鈴木は記憶している。シンプルな言葉に託された指揮官の思いを、通訳はこう推測した。
「伸二はそれまでの試合展開を観ていたわけだし、ボランチは初めてのポジションじゃない。何回もやっているわけですし、そこでジーコはいつもと同じレベルのパフォーマンスを期待したんでしょう。あれだけ試合の展開がはっきりしているんだから、セカンドボールを拾いながら自分たちのペースに持っていくために出るというのは、あのくらいのレベルの選手なら当然分かっていると思っていたんですけれども・・・」

それにしても先発を引っ張りすぎたのでは、という疑問は残る。坪井慶介の負傷によって、プランの変更を強いられたことはジーコも認めている。しかし、もう少し早く2枚目のカードを切る考えはなかったのだろうか。
「こう言っては何だけれど、相手のやり方はある程度分かっていた。あとは、自分たちがしっかり対応すれば良かったんだ。いままでやってきたことを忘れずにやれば」

オーストラリアがパワープレーを仕掛けてくるのは、試合前から想定の範囲内だった。そのための確認もしてきた。ロングスローに対する守備の練習もしている。確かに守備陣に圧力はかかっているが、予期せぬ攻撃ではない。決して耐えきれないものではない、とジーコは踏んだのである。

しかし、彼が選択した交代はチームを救うことができなかった。とくに小野の投入は、秩序ではなく混乱をもたらしてしまった。
1−0のまま逃げ切るシグナルと受け取る選手がいて、2点目を取りに行くのかと感じた選手がいた。守るのか攻めるのかを判断しかねる選手もいた。小野よりも球際に強い稲本潤一の手助けが欲しい、と思う選手がいた。MFではなくFWを入れるべきじゃないか、と采配に疑問を感じる選手もいた、と中田浩二は言う。

「90分間上げっぱなしというわけにはいかないし、下げているわけにもいかない。そのへんを自分らでうまくコントロールしなくちゃいけなかった。ひとつ言うなら、それを選手交代で示せると思うんですね、監督は。確かに伸二が入ったことであいまいな部分はあった。でも、それは自分で考えてやらなければいけない。監督の指示を待ってやるのはおかしいのかな、と。だって、あの4年間、ジーコがそういう細かい指示を出さないときでも、いい試合ができているときもありましたから」

フィールドのなかでは、いくつもの異なる感情がぶつかりあっていた。果たしてどれが正解だったのかはともかく、すでにこの時点で敗戦が忍び寄っていたのは間違いない。